九谷焼の食器や湯呑・急須などを販売【九谷焼専門ふみ吉】

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ホーム九谷焼とは・・・

 九谷焼は、350年余年前の陶石発見に始まった・・・・

青手樹木図平鉢

<青手樹木図平鉢 石川県立美術館蔵>

九谷焼(kutaniyaki)は、約350年前に北陸の加賀国江沼群九谷村で磁器の原料である「陶石」が発見され、加賀藩が全長36メートルにもおよぶ連房式登り窯を九谷村に築き、見事な色絵磁器を生産することに成功したことに始まります。

当時の様式は「青手九谷」「五彩手」の二つがあり、現在は古九谷風と呼ばれているデザインです。しかしながらわずか数十年で廃窯となってしまうのです。

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古九谷窯が廃』窯となった後、約120年後に再び九谷村に窯煙が上がります。

豪商吉田屋伝右衛門が私財をなげうち、九谷古窯に吉田屋窯を開窯し九谷焼を再興しました。

これ以降の九谷焼再興九谷と呼び、さまざまな様式を生み出し現在に伝わっています。

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色絵龍宮図平鉢
<色絵龍宮図平鉢 石川県九谷美術館蔵>
吉田屋によって再興された九谷焼は、その後「飯田屋」・「庄三」・「永楽」・「青粒」・「彩釉」・「釉裏金彩」「銀彩」など様々な作風が誕生します。

中でも、古九谷、吉田屋、飯田屋、永楽のすべての手法を融合した、名工九谷庄三による「庄三」は明治以降「ジャパンクタニ」としてヨーロッパで人気となり、九谷焼は「アール・ヌーボー」にも多大な影響を与えたと言われています。